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パワーこそ力だ


今日は、オリンピックの重量挙げを見て感心していた。

八木かなえの魅力はギャル曽根の魅力と似ているかもしれない。
見た目とやることのギャップ、他の連中が必死の形相でやっているのに笑顔とか。



重量挙げは単純な筋力と言うより結構テクニックの要素が大きそうだが、武道や武術をやっている人で、特に技重視派の人は力を軽く見る傾向がある。

合気道も典型的にそう。
中国拳法の多くや少林寺拳法、空手も古流の人等にはそういった人が多い。
中には軽く見るどころか嫌悪する人もいる。

「ボディビルダーの筋肉は見せかけだ」なんてセリフを聞いたこともある。

知り合いにボディビルダーがいないので、実際の所は分からないが、自分はボディビルダーも武術的な意味でも侮れない、恐るべしと思っている。


そう思うようになったキッカケは、50kgや60kgという"ダンベル"が存在するという事を知った事。
http://www.garitto.com/product/15707845

もしかすると、もっと重い物もあるのかもしれない。

バーベルではなくダンベルなので、片手で挙げるのだろう。
実際以前トレーニング器具のカタログで、50kgダンベルを片手で上げているビルダーの写真は見たことがある。

そこまで出来れば投げ技もクソもない、例えば襟首掴まれたら、小柄な者など片手で浮かせられてしまう。
両手を使えば空き缶でも捨てるように放られるのではないか。

もっとも、カチッと形の固まった物体より、人体の様な柔らかい物の方が、持ち上げるのは難しいと思う。
重心が移動するから。

さらに投げ技、崩し技等の攻防では、重心を逃したり捕まえたりと言った部分があるため、単なるその重さのオモリの様には挙げられない。
そう言う、力を逃したり殺す技もある為、「力が全て」とは思わないが。

しかし、そう言う人が片手で60kgの物を持ち上げる事ができるのは事実。
甘く見ないほうが良いだろう。

さらに武術的な事を言えば、そう言うパワーを持った人間ならば、その辺にある自転車やバイク等ポンポン放って攻撃する等という事も出来るかもしれない。
マンホールの蓋とか、正月なら門松とか。

恐るべし。



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型稽古のみでは足りない部分

バイクの運転を再開して考えたことシリーズ、武術編、つづき。
「ルールからは逃げられない。」


合気道は例外的流派もあるが、基本的に型稽古のみ行う。
中国武術も殆どそのようだ。

試合のような、自由に反応し、動く相手に対しての練習はしない。

その理由の一つは、自分が聞いた話では、試合と言っても殺しあう訳にはいかない為、ルールが必要になり、そうすると、普段の練習がルールに引っ張られ、やがてルールで禁止された事は考慮しなくなったり、悪い意味でスポーツ化(ゲーム化)してしまう事を懸念してとの事。

例えばサッカーだったらルールで禁止されている「手の使い方」は考慮をしなくても問題ないが、それが護身術や戦闘法だと言うならば、「ルールで禁止されている急所攻撃は考慮しなくてもいい」とは言えない。


人間が、如何にルールに引っ張られるものか。
例えば剣道。
あの動き、竹刀ではなく重い真剣で、"叩く"のではなく"斬ろう"とし、足なども狙って良いとしたら、全然違うものになるのではないだろうか。
良い悪い、強い弱いは別にして、既に刀を使った剣術とは別物となっているだろうという事。
(余談だが、今の日本では、刀を使うわけにはいかないが、棒はどこにでもあり、殺さないで済む剣道は、合理的で実用的だと思う。)



では試合を排し、型稽古だけなら?
実際には…
型稽古の型は、見方を変えれば、ガチガチのルールとも言える。
「相手が真っ直ぐ右ストレートを打ってきたら、左にかわし…」のように、打ち方の向きや軌道まで限定されている。

型にない状況は個々が想像し、己の機転で応用するしかない。

けど、大概の人間、そんなに想像力があって、機転が利くものだろうか?


自分自身、そういった事を始めた当初から、スポーツというより武術志向で取り組んでいたが、それでも他流を経験する度、知らない技にはまんまとハマったり、してやられて来た。
普通の人間、案外たいして想像力の範囲は広くない。



また逆に、現実は、ノールールの殺し合い、戦争だとしても、大きな意味で考えると、やっぱりルールが存在する。
例えば集団戦であれば、リーダーを失った群れは烏合の衆になるとか、人間の心理や習性、行動パターン等の、要はルールがある。
武術、戦闘法、兵法であれば、そういうルールのコントロールも重要な要素と思う。
そして、そういうパターンを上手く突く術を、戦術と言うのではないだろうか。


そんな戦術の一つの要素で、大変面白いものでもある誘導や囮の技術。

合気道でも誘導とか囮の考え方を教わった事はある。

しかし、この誘導や囮の感覚を型稽古のみで養うのは大変難しいと思う。
なぜなら誘導や囮で実現したい事は「自由に動ける相手の自由を制限する」事。
選択権を持つ相手に、こちらの望んだカードを取らせる事。
型稽古にはそう言う要素は無いように思う。

京都の交通事故について武術的に考えたこと

京都で立て続けに"事件"レベルの交通事故があった。

武術的に思う所があった。

武道、武術、格闘技と言い方が色々あるが、自分はずっと武術と言うつもりで取り組んで、考えてきた。

武道や格闘技と何が違うのか。
大きいカテゴリーでは同じような物だが、端的に言えば、想定がストリートファイトであると言う事。
いつ始まるか、相手の大きさ、武器の有無、人数…そう言った事まで想定に入れるのが武術だと思う。
もっと言えば、相手は人間か?
相手の人間が、"武器"として犬を連れている場合もある。

田舎だったら野犬やイノシシ、熊に会ったらどうするか?
そんな事も考える。

しかし確率で言えばもっと危ないことがある。
車、バイクなど交通事故だ。


武術の究極目的は、人生の途中で不本意に死なない事、長寿でなくても、役目をある程度終え、天に
召されるまでは死なない事ではないかと思っている。



危険予測というのは教習所で習う。
良い方(自分の都合に)に考える「大丈夫だろう」ではなく、悪い方に考える「かもしれない」運転。

あそこに子供がいるが、歩行者信号は赤だし、大丈夫だろう。
ではなく、
あそこに子供がいる、信号が赤だけど、飛び出してくるかもしれない。
こう言った思考が危険回避の基本だと思う。



流石にあのレベルを回避するのは色々な意味で難しいと思う。
時速100kmで背後から突っ込まれたら、大人で武術などを長年やっている自分でも、難しいと思う。
ましてや身体能力、注意力に劣る子供など尚更。

しかし、それでも、危険予測のような事を教え、訓練していたら、犠牲者も減るのではないかと思う。



フォトレタッチソフトやペイントソフトの概念、レイヤー。
要は階層構造の事だが、この世界のルール、法則も、レイヤーのような物と思う。

つまり、「信号を守る」「制限速度を守る」と言うのは、人間同士の約束、社会システムルールのレイヤー。
言ってみれば、ジャンケンで「同時に手を出す」とか「グーかパーかチョキのどれかから出す」と言う"ルール"と同じレイヤー。
当たり前の話だが、物理法則を曲げたり縛ったり出来るものではない。
同じ"法則(ルール)"であってもレイヤーが違うので干渉できない。
さらに言えば物理法則レイヤーの方が上位であり、強いルールである。


誰でも、信号は無視しようと思えば出来るし、意図せずとも、不可抗力(寝てたとか)によって、簡単に破られてしまう程度のルールに過ぎない。

こうやって、文字にすると、あまりにも当たり前の話。

だけど、そういう事を、子供にキチンと教えているだろうか?


自分は、教わった覚えがない。
自力で気が付いたと言う感じだ。
正直、子供の頃から、それほど要領が良くなく、多分人より大分遅れて気が付いたのだが、その時は、大人に怒りすら覚えた。
「ルールは守りましょう」とか、そんな、ある意味、子供をナメた、バカにした教え方しかしていないのではないか。

思い返してみれば、要領の良い奴は子供の時に既に無意識的にしろ気が付いていたと思われる。

それはルールというものを理解して、利用する能力として現れると思う。

身を守る事だけでなく、上手く生きていくには、そう言う能力が必要なのだと思う。


エクストリーム空手とか

"「こいつら絶対空手やったこと無いだろ」と一発で分かる空手家写真集" と言うタイトルの記事が、ここ数日、msnとかポータルサイトで結構紹介されていた。



しかし、人より多少、そういった事に詳しい自分は、そうは思わなかった。

自分も外国に住んだことがあるわけでも無いので、長年見聞きしてきた情報に過ぎないが、どうも空手というのは外国では全く違う発展のしかたをしているらしい。

寿司がカリフォルニア・ロールとなったように。

そもそも、欧米人は空手とカンフー、テコンドーの違いも良くわかっていないと思う。

いつだったか映画か実際の大会映像的なものだった忘れたが、目にしたものに「カラテ・チャンピオンシップ」と掲げられた大会で、カンフーもテコンドーもごっちゃに出ていた記憶がある。

要するに日本人的に言うと「武術」とか言うような、ジャンルの総称として「カラテ」と認識している人が多いのではないか。



また、演武専門のエクストリーム・カラテ(エクストリーム・マーシャルアーツ)と言うジャンルがあるらしい。

チャラい・・・
ガチ空手家が見たら怒りそうだ。
http://www.youtube.com/watch?v=v53TUSTQnQs


真面目にはやっているし、大した身体能力だが、日本の空手しか知らない人が見れば色々と違和感があるだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=Fx47cqymYgw



何故こういったジャンルが生まれたのか?

欧米の武術をやっている人から聞いた話、欧米人は護身術と大会で勝敗を競うようなコンペティションスポーツは別物と考えているらしい。

銃など武器も日本より手に入りやすいし、戦うって事をリアルに考えたら素手の格闘技に拘る必要も無いのだろう。

所詮いくら鍛えても銃には勝てない。それがよく分かっているのではないか。

そこで、あくまでもスポーツだったり、ダンスや演劇、コスプレのような自己表現を楽しむ物として発展したのではないか。



ついでに、扇を使った武術も案外多い。

中国武術やインドネシア・マレー武術シラットの一派でも扇を使う。

合気道の源流、大東流合気柔術の武田惣角も護身用具として鉄扇を持ち歩いていたらしい。

これは中国武術のようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=03O0W8zTJr0&feature=fvsr

よって、扇持って御満悦のオッサンも案外何かの使い手かもしれない。


職業訓練施設にて、今日はメイン先生が休みで、フリーダムな雰囲気だった。

ふとクラスメイトの一人が、"何かくれそうな感じ"がして、心の中で「何かもらえるんですか?なんちゃって…」

とか思っていたら、次の瞬間、「今日はフリーダムだから」と言って皆にお菓子を配り始めた。


こう言った気配の察知は合気道を習ってから、何度も経験している。


何を感じているのか?

SF格闘漫画「銃夢 ラストオーダー」では「脳内パルスを感じて先を読む」と言った描写があった。


理屈は分からないが、合気道をやると、こう言った気配に敏感になる。


ただ、時に不安になるのは、逆に、自分からも何か出ているだろうと言うこと。

好意的な気配ならばむしろ伝わっても良いが、好きじゃない相手に感じる軽蔑とか、嫉妬とか、不信とかそう言った負の感情を抱く時。


経験的に、大体、そう言う感情は相手に伝わってしまうという事は何となく分かっている人も多いと思う。

しかし、氣を鋭敏にする訓練を積んでしまったが故に、そういう気配の出力も普通の人より鋭いのではないか?


これも経験があり、相手に怒りを感じて、文句を言わねばと思っていたら、相手から謝って来たなどが何度かある。


「俺は格闘技やってるんだ」なんて言って肩で風切って歩くような様は自分は嫌いで、恥ずかしい事だと思っている。

同様に、そう言った鋭い氣で人に恐怖を与えたりするのも恥ずかしいし、嫌だ。

嫉妬などの氣を相手に突き刺してしまった後は自己嫌悪に陥る。


合気道では、心を乱されない方法、落ち着ける方法などは習ったが、氣の出力を抑えるといった観点から教わった事は無い。

習っていた先生も出来ないと思われる。

(先生がうろたえた時、イラッと来た時など察知が出来たため。)


これは今後も研究課題だ。
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