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坊主の修行の意味

六道の話つながりで思い返したこと


子供の頃、少林寺系のカンフー映画を見る度不思議だった。

殺生戒があると言うことは、暴力も否定するはずの坊主。
何故武術の修行などしているのか?

そもそも何故、徳を積んだりする事が目的の坊主が、そんなに身体を鍛える必要があるのか?


自分で合気道をやるようになってから何となく意味が分かるようになった。

また同時に、小乗仏教、大乗仏教の違いも何となく分かった気がした。


合気道は欧米ではムービング・ゼン(動く禅)とも言われるらしく、「雑念を払う」と言った禅のような要素を強く持っている。


極端に言えば苦しみとは、主観、自分がそう感じるかどうかに過ぎない。
苦しいと思う気持ちも払う事が出来れば、苦しみから解放される。

仏陀はそんな感じの事を伝えたかったんだろうかと思った。


つまり、子供の頃、坊主に対して誤解があった。
本来を言えば、徳を積むのが目的ではなく、己の苦しみを解決したい人が、その一つの解決方法である「修行」をしていたのだ。
座禅と言う方法もあるが、動きに集中し、練る方法の方が簡単と言うか分かりやすいと言う面があったのだろうと思う。
だからこれも別に本来「身体を鍛えていた」訳ではないのだと思う。

ちなみに中国禅開祖の達磨は少林寺で修行しているので、少林寺の武術にその要素が入っていてもおかしくないと思う。


そう言う「苦しみを払う修行」として考えると、自己完結的で、大乗から見た小乗の問題点としての「坊主が引きこもって自分の為だけにやっててどうする」と言う部分も何となく理解が出来た。
最も自分はそれが悪いとは思わないが。

現に今日本の仏教はほぼ大乗だが、坊主と言うものが一つの権威、職業になってしまっている。
それはそれで問題なのではないかと思う。
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イスラム教の豚のイメージ

アフガニスタンで米軍がコーランを燃やしてモメたようだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120222/asi12022220510004-n1.htm


高校の時だったか、先生から聞いた印象に残っている話を思い出した。

どこだが結構なレベルの大学で、新歓コンパだかをやった。
イスラム教の留学生も同席していた。
日本人学生がイタズラで、豚肉を牛肉だと騙してその留学生に食わせた。
食わせた後、「実は豚肉でした」とネタばらし。
ドッキリみたいなノリだったのか。

その留学生は、真っ青になり、その場で窓まで走って飛び降り死んだとの事。


日本人の多くは宗教を持っていない為、宗教を持っている人の常識、感覚が理解しづらいのだろう。
自分も、その話を聞いて初めて、そんなに宗教に命かけている人がいる事を意識した。


その後イスラム教の人と多少付き合いが出来て、改めて知った感覚。
豚肉を出さなければ良いと言うものでもないらしい。
例えば、イスラムの人に「これ、豚肉が入ってるじゃないか」と指摘され、ゴメンゴメンと豚肉をヒョイヒョイと取り除いて「さあどうぞ」。
コレではダメらしい。
豚肉料理に使ったまな板、包丁、そう言った物を他の料理に使ってもいけないらしい。
また、豚皮の製品を触る事も避ける。
日本人の感覚で言えば「穢れ」が近いのではないか。

矮小な例えだが、その話を聞いた時、現代日本人の感覚で言うとゴキブリとかウンコとかに近いイメージだろうかと思った。
"豚肉"を"ゴキブリ"や"ウンコ"にして上記の文を読むと如何に有り得ない事か分かる。
さらにそれに宗教的な感覚も伴う物。


そのゴキブリも、日本では昔、食べ物が余る豊かな家にしか出ない為、コガネムシと言われ、崇められたとも聞く。
常識、信じるもの、尊いもの、穢らわしいもの、時代や場所、人によって全く違ってくる。
自分が、自分の常識だけで物事を見ていないか、気をつけなければいけないと改めて思った。
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