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「凶気の桜」を見た感想とか、正義とか、ルールとか、暴力とか


凶気の桜は昔予告映像を見て、飛びつき腕十字見たいな技を決めてるシーンが印象に残っていた。
それと本物の格闘家が出ていると言う情報。
何を勘違いしたのか、ずっと桜井マッハが出ていたのかと思い込んでいたら、出ていたのは須藤元気だった。
ついでに飛び十字のシーンも見当たらなかった。

須藤元気はクレバーなイメージだが、役はちょっとおバカさんの役だった。



内容は、右翼の若者達の破滅までの日々を描いた、一応、青春物になるのだろうか。
仲間達と、信じる事に対して熱く取り組み、大人との出会いによって変わり別れていく仲間、大人とは?そして挫折…ちょっとだけ恋愛要素も。
と、要素を書き出すとやはり青春映画かもしれない。


この映画の感想と、先日京都の交通事故について書いたルールの事とか、友人の愚痴とか、入り混じって、考えたこと。


-映画-
映画の主人公「山口(窪塚洋介)」は凶暴だが、とても真面目で真っ直ぐ。
「こうあるべき」と言う理想が自分の中にあって、それに反する事が許せない。
アメリカ化していく日本とか、モラルや品を失っていく日本人とか。

山口は「正義」と言う事を何度か口にする。
「それは正義じゃねえ」とか。


-時事-
塩谷瞬とやらが世間では叩かれているらしい。
何股もかけていたとかで。

塩谷瞬は悪いことをしたのか?
何が悪いのか?


自分は、何か悩んだ時は、動物の生態、生存競争、進化の歴史、そう言った人間とは別視点で考えてみる事が多い。
人間視点にしても、まだ動物に近かった原始時代の人間の考えを想像してみたり。


・動物視点で考えた、塩谷瞬が女に叩かれる理由
メスとして、つがいのオスに要求する事は、子供の為に餌を取って来て貰う等、子育てへの協力。
種だけ撒かれて逃げられたら、妊娠中及び子育てを単独で行わねばならず、大変。
子供が無事育つ確率も下がる。
だから、種だけ撒いて逃げるのはカッコウの托卵(他の鳥の巣で卵を産んで、子育て丸投げして逃げる事)の様なもので、怒って当然。


・動物視点で考えた、塩谷瞬が男に叩かれる理由
メスの場合と全く逆に、つがいのメス(嫁)が、自分の知らぬ間に孕まされ、自分の子だと思って育てている子供が、実は托卵された他人の子だとしたら。


どちらから見ても、塩谷瞬がやっている事は「良いとこ取り」の泥棒みたいな物で本能的に考えても叩かれて当たり前だろうと思う。

補足で言えば、それでも、そう言う女ったらしが案外モテるのは、男に比べて女はリスクが小さいからでは無いかと思う。
最悪単独のメスが、オスに逃げられた場合も、子供は自分の子に間違いないし、まして、つがいのオスがいれば、メスには何のリスクもない。
それどころか女を上手く孕ます遺伝子を受け継げれば、子孫の繁栄も期待できてむしろ(゚Д゚)ウマー。


ただ、これは"怒る"と言っても、動物レベルでも感じる怒りであって、まだ善も悪も無い。
自分の資源が脅かされる事への抵抗、闘争本能から来る怒りに過ぎない。



-原始的ルール-
ルールはいつ生まれたのか?

群れで暮らしている場合、塩谷瞬みたいな事をされると基本的に皆、不愉快。
コッソリつがいのオスに他人の子を育てさせているメスも、オスにバレてはいけない後ろめたさがあるので、表面上は同調して攻撃するだろう。

こう言った皆が不愉快な事から、「これはやるな」と取り決め、原始的なルールが出来ていったのではないか。

「取り決めを守る事」とはどういう事か?

それをやったら得だ、楽だと言う事も、我慢する事。
そして取り決めをキチッと守れる奴を真面目と言い、取り決めを破る奴に対する怒りを正義と言い出したのではないか。

それから、"皆が"納得する取り決めにはポイントがある。
一人だけが得する良いとこ取り、抜け駆けを許さないと言う事。
つまりどういう事か?
「平等」と言う事だ。


ところで取り決めを破った者をどうするか?
それは普通に袋叩きだろう。
この段階では、まだ暴力そのものに善悪の属性は無かったと思う。



-正義-
ルールを決めて行動を制限しても、それは脳の表層でやっていることで、脳の奥、本能から湧き出る「欲」は消せない。

資源を沢山集めたい。
人より多くの資源が欲しい。
人より良い思いがしたい。
そんな思いを今だに人は無くせない。


資源を奪う方法は、すぐ思いつく所で2種類に分けられる。
一つは上記の塩谷瞬の様な「盗み」(実際、塩谷瞬のことはロクに知らないが…)
もう一つは力で強奪する方法。

どちらも動物なら当たり前に行う。

肉食動物が草食動物を食うのも、言ってみれば力による強奪。
同種間でも、例えばライオン等のオスは、力で別の群れのオスを排除して群れを奪う。

人間の場合も、初めは単純に、この強奪力の強い者がボスだったろう。
やがて、取り決めなどが出来てくると、欲するまま理由もなく奪うことが"悪いこと"となったのではないか。

その頃から、強奪を仕掛ける際には、相手の落ち度を探して、それを理由に「正義は我にあり」と攻撃を正当化する様になったのではないだろうか。
これは今でも続いている事だが。

正義の質がここらで変わってくる。
単純なプロトタイプ正義から、中身がそうでなくても纏ったり、被る事が可能なものになった。
そして、そうやって使うための、一種の道具になった。


-ルールを利用する-

強奪者は皆その道具を使う。
あっちもこっちも自称、正義。

これもルールを利用すると言う事。

ルール1.理由もなく強奪してはいけない。
ルール2.正義があれば攻撃して構わない。

これを理解していれば当然まずはルール2を取るのが当たり前だろう。

だが、"利用"された時点でルールと言うものも変質した。
ルール1はもう骨抜き。

「掟」と言う重いものから、一種のゲームになっていった。

その場でより有効なルールを見抜き利用し、コントロールするものが勝つ。
さらに賢い奴はルールを作る側に回る。
自分に有利なルールを作ってしまえば、その後のゲーム展開は容易にコントロール出来る。


例えば織田信長は力で資源を集め、頂点に立った。(銃は剣より強いなどの法則も上手く使い)

豊臣秀吉は自分が同じように力で奪われる事を恐れ、刀狩りをした。
これがルールを作ると言う事。


-暴力-
「暴力は良くない」といった事は良く言われる。
それに反対する人はあまりいない。
今の日本では「何故か」と考える余地も無い程の常識、当たり前の様になっている。


愛とか優しさからそう思っている人がいることは否定しない。
だけど、上記の様に、動物、猿、猿人、人間の歴史から追って考えていくと、別の動機から同じ事「暴力は良くない」と言っている奴がいると言うのは考えられる。

豊臣秀吉の様に、自分が十分な地位、権益を得た上で、それをひっくり返される事、奪われる事を怖れ、そういったアクションを封じる為に、相手の力(暴力)を奪う。
そう言った内心を持ちながら、表面では道義を語るように「暴力は良くない」見たいな事を言ったリする。
今もそう言う事は普通にある。
例えば、自分の国は核兵器持ってるくせに、人の国が持つことは禁じる様な。
そしてそれを正当化する法を作ってしまったり。



国同士の話では無く、日本の個人レベルで考えると、現代ではあからさまに資源を奪う事はほぼされなくなった。
でも人間の欲が無くなった訳じゃない。
単に奪う手段が巧妙になり、見えにくくなっただけ。
ルールの範囲内でやっていれば断罪されることも無い。

ルールが複雑化して、下手すると、結果「奪う側」になっている者にも、奪っている自覚が無いかもしれない。
それこそ「ルールを守ってゲームをしているだけ」と言う意識で。

初めはルールと言うものには、平等とか、正義が伴っていたのかもしれないが、とうに分離し、ルールはひとり歩きし、むしろ正義とか平等とか、そう言った物を食ってしまった。



-凶気の桜-
映画の話に戻ると、山口が世の中に怒りを感じるシーンで、「お気に入りの古本屋が、チェーンの古本屋の進出で閉店を余儀なくされる」(ブックオフってハッキリ言ってたけど。)と言う物があった。

ブックオフ(アマゾンでもいいけど)の方としては、「奪う」なんてつもりは無いのかもしれない。
別に法律(ルール)違反した訳でもない。
だが、結果、そう言う街の小さな本屋から資源を奪っているのは事実。
そう言う本屋を潰して、食って繁栄していっているのは事実。


要は、資源を奪う手段が、盗みや強奪から、金儲けゲームの上手さに変わったと言う事。
勝者の条件が暴力の強さから、頭や要領の良さに変わったと言う事。

好むと好まざると、既に皆、そのゲームの盤上に乗せられてしまっている。


「資本主義だから勝ち負けが出て当たり前」
「負けたのは自己責任」
とか言われたって、原始的な怒り(正義)からしたら、納得できないだろう。
上手く巻き上げられた感で。



そう考えると、現代では「真面目な奴」は詰んでいるのかもしれない。
既に「それをやったら得だ、楽だと言う事も我慢する」等、ゲームの勝ち負けには重要ではなく、「どのルールを利用すれば、より得・楽が出来るか」にいかに気が付き実行できるかの方が重要。


何となく「平等じゃない」と感じて、原始的な怒り(正義)をぶつけようにも既に暴力はルールで封じられ、むしろそっちの方が、ルール違反、悪とされる。
かといってゲームで対抗できるような能力があれば、そもそも、そんな立場にいる事も無い訳で、「ぐぬぬ…」と、釈然としない思いを抑え込むしかない。


しかし、そうした怒りは所詮、抑えこんでいるだけで、この世から無くなったわけじゃない。
その怒りのエネルギーは何処へ向かうのか?

いつか爆発するのか、さらに弱い誰かにぶつけられるのか、自分に向けて自滅するのか。

正直、塩谷瞬ごときが(良く知らんけど)叩かれまくるのも、純粋に塩谷瞬に対する怒りと言うより、そうした溜まった鬱憤を、「ぶつけても良い相手」としてぶつけられている面もあるのではないかと思う。



-どうしたら良いか-


諦めて食い物にされ滅びるか。
抗って桜のように散るか。
環境の変化に適応して生き延びるのか。
違う環境へ逃げるか。

どうする。

もしかすると、これも、頭・要領の悪いオールドタイプが淘汰され、最新型、時代に適応したニュータイプが繁栄していくと言う、進化の過程なのかもしれない。


しかし、こういった状況も良い面もある。

そもそも、個人的には「なんでも平等」見たいのも行き過ぎると気持ち悪いと思うし、単純に昔が良くて今がダメとも思わない。
掟で縛る原始の群れの行き着く先はムラ社会の様なものと思う。

抜け駆けを許さない空気は、損得とは関係なく出る杭を打つ、変わり者を排除する空気に通底すると思う。

それは嫌だ。

金儲けゲームの世界では、ルール違反さえしなければ変わり者、レールを外れる者にも寛容(無関心)だ。


ゲームの世界で戦いたくなくても、少なくとも相手のゲームに巻き込まれない、乗せられない、そう言う程度には、ルールを意識する必要があるのではないか。

その上で自分のニッチ、生きられる環境を探す、作り出す。

とりあえず自分はその線で、行ってみようと思う。

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ピナ・バウシュ 夢の教室

ピナ・バウシュ 夢の教室
http://www.pina-yume.com/
を見た。

先日行った「ピナ・バウシュ 踊り続ける命」http://pina.gaga.ne.jp/
つながりで興味を持って行ってみたのだが、意外にもこちらの方が一般向けな気がした。

舞踏家ピナ・バウシュの舞踏団に入った少年少女の初舞台までのドキュメンタリーなのだが、少年少女の恥じらい、悩み、葛藤、成長の様、師弟関係が記録され、図らずも青春映画として成り立っていた。
下手な監督に作らせる青春映画より余程面白く、感動した。

内気な少女が心を開き自信をつけて行く様や、先生の生徒を導く熱い情熱、愛、そう言ったものが「真に迫っていた」...と言うよりドキュメンタリーだから本物な訳で、そういった良さがあった。

ピナ・バウシュに興味が無い人からはスルーされそうな作品だが、フラガール、おっぱいバレーと言った、青春+師弟物のカテゴリーとして普通に楽しめると思う。


今回は映画のあと、ダンサー・振付家の黒田育世と近藤良平のトークもあった。
そこで語られていた事。
「中学の必修科目にダンスが入ったとの事だが、ならば必修でこの映画を見せた方が良い」
全くその通りだと思った。

また、トークではピナ・バウシュの伝説も語られ、自分は前回の映画ではじめて知った人物だったが、いかにオーラのあるカリスマだったかと言うのは伝わってきた。
武道家的に言えば塩田剛三とかそう言ったレベルだろうか。

そしてそれほどの人物の作品でも、初めの15年程は「ゴミ」扱いをされていたのだとか。
そのエピソードは逆に勇気付られる。

ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち


ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち
http://pina.gaga.ne.jp/top.html
を、3Dで見た。

ピナ・バウシュと言う2009年に亡くなったドイツの舞踏家が率いる舞踏団の、身体表現芸術映画。
ストーリーなどは無く、始終サイトで見られる動画の様な感じ。


時に中国拳法の演武を見ているような感じも受け、武術とダンスの近さを改めて感じた。
極真空手の大山倍達は弟子に「ダンサーとは喧嘩するな」と言ったとか。


特に興味深かったのは、単独の動きではなく、人との組み合わせにより表現される面白さ。
例えば女性の後ろに男性が隠れて、逞しい腕だけを出し、それに合わせて女性は力を込めたような表情をする。



「芸術」という風にかしこまらず、「面白い表現をしよう」と言うエンターテナー精神を感じた。


日本のバティックと言う舞踏団が好きで、何度か公演を見に行っているが、似た表現だなと思った動きが結構あった。
影響を受けているとか、ジャンルが近いとか、もしかすると芸の系譜につながりがあるとかかも知れないが、エンターテナー的に考えると、オリジナリティーを求めて新しい動き、表現、売りを編み出していかなければならない苦労等も感じた。
例えば前記の男女の腕芸(考えてみると二人羽織みたいなものか)も、この後誰かがやってもパクリっぽくなってしまうし、「芸」と考えると、一発芸とも言える。

何百年も芸が変わってなさそうな猿回しだとかも、やはり今の時代はそれなりにバージョンアップを求められたりしているのだろうか。
情報の流れが早く、刺激の多い時代の苦労。
そんな事も考えた。

YouTube短編映画祭

iphone 3分映画祭
http://blog.livedoor.jp/i3min/というものがある。

敷居が低いので、次回は是非自分も出してみたいと思っていたが、第二回以降続報がない。

ネタは考えていたのだが、撮影などは具体的に決まってからで良いだろうと思っていたら、今日、たまたま別のYoutubeが募集している短編映画祭「Your Film Festival」と言う企画を知った。
http://youtubejpblog.blogspot.com/2012/01/your-film-festival.html

締め切り3月一杯…
シマッたと感じるべきか、間に合ったと感じるべきか?
これは賞金も50万ドルとか、ベネツィア映画祭招待とか何かスゴいし、レベルも高いのだろうが、出すのはタダだし折角だから出してみたい所だが…


映画「トーナメント」

映画の「トーナメント」を見た。
http://tournament.jp/

友人から「見に行かね?」と聞かれた時は、てっきり殺し屋バトル映画の「ザ・トーナメント」かと思った。

この映画は情報が殆ど無かった。
公式サイトを見ると、まるでリアルバトルのドキュメンタリーであるかのような書き方。
しかし、公式サイトで見れる動画の、特に最後のバク転を見た時、リアルじゃないなと思った。

さらにサイトから飛べるyoutube動画で聞き慣れない「空水流」とやらの動画を見てみたら…

どこかで見たこと有るような…
ハイキックガールのアクションぽいな…と思った。


この辺の下調べで、トーナメントでは空水流が優勝するんだろうと思った。


劇場では、スキンヘッドで耳が潰れてる人とか、いかにも何かやってそうな人が大勢いた。
席に着くと、後ろから「やる側の人しかいないでしょ」なんて声が聞こえてきた。


実際見てみると、出てきた空手家2人、ハイキックガールの敵役で見た男たちだと気が付いた。

そしてエンドロールでようやく気が付いた監督の名前、西冬彦。
やはりハイキックガールの監督だった。
このリアル風の作り、宣伝の仕方、監督の芸風なんだなと思った。

ハイキックガール見た時は、チョコレート・ファイターと時期が被っており、比較してしまったこともあって、ずいぶんガックリきたが、今回トーナメントを見て、改めて思ったことは、プロレスがマイナーになった今、映像プロレス的なこういった作品の提供はアリかもしれないという事。

ただ、プロレスファンというのは、おそらく「見る側の人」だろうと思う。
今回、劇場に「やる側の人」らしき人が大勢来てしまったのは、どうなんだろう。
自分はハイキックガールを先に見ていたし、サイトの動画から何となく内容に予想がついていた為映画として見れたが、リアルバトルを期待して見に来た「やる側の人」はどう思ったか。
マーケティング的に違った層に訴えてしまったのではないか?


ちなみに劇中、及び終了後、何とも言えない、力のない笑い声が辺りから聞こえてきた。



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