FC2ブログ

型稽古のみでは足りない部分

バイクの運転を再開して考えたことシリーズ、武術編、つづき。
「ルールからは逃げられない。」


合気道は例外的流派もあるが、基本的に型稽古のみ行う。
中国武術も殆どそのようだ。

試合のような、自由に反応し、動く相手に対しての練習はしない。

その理由の一つは、自分が聞いた話では、試合と言っても殺しあう訳にはいかない為、ルールが必要になり、そうすると、普段の練習がルールに引っ張られ、やがてルールで禁止された事は考慮しなくなったり、悪い意味でスポーツ化(ゲーム化)してしまう事を懸念してとの事。

例えばサッカーだったらルールで禁止されている「手の使い方」は考慮をしなくても問題ないが、それが護身術や戦闘法だと言うならば、「ルールで禁止されている急所攻撃は考慮しなくてもいい」とは言えない。


人間が、如何にルールに引っ張られるものか。
例えば剣道。
あの動き、竹刀ではなく重い真剣で、"叩く"のではなく"斬ろう"とし、足なども狙って良いとしたら、全然違うものになるのではないだろうか。
良い悪い、強い弱いは別にして、既に刀を使った剣術とは別物となっているだろうという事。
(余談だが、今の日本では、刀を使うわけにはいかないが、棒はどこにでもあり、殺さないで済む剣道は、合理的で実用的だと思う。)



では試合を排し、型稽古だけなら?
実際には…
型稽古の型は、見方を変えれば、ガチガチのルールとも言える。
「相手が真っ直ぐ右ストレートを打ってきたら、左にかわし…」のように、打ち方の向きや軌道まで限定されている。

型にない状況は個々が想像し、己の機転で応用するしかない。

けど、大概の人間、そんなに想像力があって、機転が利くものだろうか?


自分自身、そういった事を始めた当初から、スポーツというより武術志向で取り組んでいたが、それでも他流を経験する度、知らない技にはまんまとハマったり、してやられて来た。
普通の人間、案外たいして想像力の範囲は広くない。



また逆に、現実は、ノールールの殺し合い、戦争だとしても、大きな意味で考えると、やっぱりルールが存在する。
例えば集団戦であれば、リーダーを失った群れは烏合の衆になるとか、人間の心理や習性、行動パターン等の、要はルールがある。
武術、戦闘法、兵法であれば、そういうルールのコントロールも重要な要素と思う。
そして、そういうパターンを上手く突く術を、戦術と言うのではないだろうか。


そんな戦術の一つの要素で、大変面白いものでもある誘導や囮の技術。

合気道でも誘導とか囮の考え方を教わった事はある。

しかし、この誘導や囮の感覚を型稽古のみで養うのは大変難しいと思う。
なぜなら誘導や囮で実現したい事は「自由に動ける相手の自由を制限する」事。
選択権を持つ相手に、こちらの望んだカードを取らせる事。
型稽古にはそう言う要素は無いように思う。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

morning☆star

Author:morning☆star
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR